尾張大丸かぶ&天王寺かぶ。

本日も引き続き愛知県農業総合試験場の伝統野菜の畑を紹介します!
前回はあいちの伝統野菜のねぎ畑を紹介しました。今回は「かぶ」畑です。

【尾張大丸かぶ畑】

こちらは愛知県の尾張大丸かぶの畑です。
山下さん、どうやら抜いて見せてくれるようです♪(嬉)
2種類のかぶを抜いて見せてくださいました!

【尾張大丸かぶと天王寺かぶ】

(左)尾張大丸かぶ (右)天王寺かぶ です。
2つとも同じような白かぶに見えますね…。

【尾張大丸かぶと天王寺かぶ、アップ】

近くによってみました。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、
左の尾張大丸かぶは表面がちょっとだけザラザラ(というよりボコボコ?)で、
それに対し、右の天皇寺かぶは比較的つるっとしていました。

尾張大丸かぶは、愛知県生まれ。
天王寺かぶは、大阪生まれです。
それではそれぞれの「かぶ」の由来などをご紹介してゆきます。

★尾張大かぶ★
尾張大かぶは、栽培が確認されていないため、

あいちの伝統野菜にも認定されておらず、情報があまり得られませんでした…。

したがって以下の情報は、全国の伝統野菜情報が、事細かにまとめられている

「地方野菜大全」というとっても素敵な本からの抜粋です。

江戸時代、尾張甚目寺村(おわりじもくじむら)の渡辺長兵衛というお方が、
昔からあった種を自分で改良して、「尾張白かぶら」を育てました。
この品種が、栽培された地域によって甚目寺かぶ、大冶かぶ、萱津かぶと呼ばれ、
特産物となったため、各地で種を販売することが多くなり、その際に「尾張かぶ」
または「尾張大かぶ」として販売され、名声を得ました。
収穫時期によって「中かぶ」「大かぶ」に分類して販売されていたそうです。
現在市場にはほとんど出ておらず、家庭菜園などで栽培されています。

★天王寺かぶ★
こちらは大阪市天王寺付近が発祥の、なにわの伝統野菜です。
中型かぶの代表品種で、有名なので知っている方も多いのではないでしょうか。
江戸時代から明治時代末期にかけて関西を中心に西日本に広く栽培され、
江戸中期の俳人、与謝蕪村が「名物や蕪(かぶら)の中の天王寺」という俳句まで
残しております。そしてこの天王寺かぶ、実は「野沢菜」のルーツでもあります!
1756年(宝歴6年)当時、長野県野沢村に住んでいた住職が、この「天王寺蕪」を
たいそう気に入って、種を持ち帰って育てたところ、地質や気候の違いのため、
葉っぱだけが大きく育ってしまったそう。それが現在の「野沢菜」となったのですねー。

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調べてみるととっても奥が深い伝統野菜!おもしろいですね。
さて、今回は「かぶ」畑のご紹介をさせて頂きました。
次回はどんな伝統野菜が登場するのでしょうか…★
「伝統野菜の畑」紹介、まだまだ続きます!